この度、塗魂ペインターズにおいて、リトアニアのカウナスにある旧日本領事館であるスギハラハウス再生プロジェクトに携わらせて頂きました。
僭越ながら、9/4の開会式において、「何のためにスギハラハウスの再生に携わるのか」について発表させて頂きました。
貴重な機会を与えて下さいました関係者の皆様に心より感謝申し上げます。
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1
平和の勇者が集う街カウナス、ここに向かう途中、私たち塗魂の心は、天空を駆け抜け、時を遡り、77年前のカウナスに思いを馳せておりました。
時は第二次世界大戦、真只中、憎しみの心に支配された、差別と抑圧の指導者らがいました。
彼らは、国家、宗教、民族など、あらゆる差異で人々の心を分断し、自分の欲望のままに、自分を正当化し、尊き人々の命を虫けらのごとく扱ってきたのです。
2
1940年7月18日、杉原千畝は、ここ、カウナスの日本領事館にいました。
早朝、彼がカーテンを開けると、窓の外には、多くの人々が取り囲んでおりました。
彼らは、けして他人の不幸の上に自身の幸せを築いたわけでもなく、ましてや罪を犯したわけでもありません。
ただ、友のため、家族の笑顔のため、一日一日を懸命に生きてきた、健気なる庶民でありました。
しかし、罪なき彼らが、戦争によって思い出の詰まった住まいを追われてしまったのです。
いつの時代も最も犠牲を強いられるのが、健気なる庶民であります。
3
千畝は、外交官として、定められた仕事をしていれば、誰からも責められることはありませんでした。
しかし、彼は、外交官としてだけでなく、一人の人間として人生の意味を問い、国家の命令よりも生命の尊厳を守るために勇気の決断したのです。
この偉大なる決断は、国境を越え、時を超え、人々の心の中に今も燦然と輝き渡っているのです。
4
さて、あれから、77年の月日が流れ、人々の生活は豊かになり、あの時代のことは、遠く過ぎ去った歴史の一場面のようにも思われます。
しかし、本当にそうでしょうか…、
時が流れても
・差別発言を繰り返す指導者らがいます。
・民衆を犠牲にしながら、軍事力を強化する国家がある。
・自国の安全のためには、他国の罪なき人々が犠牲になってもよいといった、生命軽視の思想がある。
テロリズム、人種差別、ヘイトスピーチ、そして核兵器は、未だ絶えることはありません。
どんなに長く時が流れても、戦争の因は人間の心の中に深く宿っているが故、同じ過ちを繰り返す危険性は至る所にあるのではないでしょうか…
5
では、この世界を分断し破壊する戦争に打ち勝つものは一体何なのか…
それは、「戦争のない世界を、未来の子供たちに贈りたい」との希望を、歴史創造の力へと鍛え上げる「民衆による誓いの連帯」に他ならないと確信するものであります。
・私たちは、いかなる境遇であろうとも、誰もが等しく、無限の可能性を秘めていると信じています。
・その力を一人一人から引き出し、結集していくことで、周囲や社会を変え、やがては国家を、世界をも動かしゆくことを信じている。
・そのためには、「自分如きに世界を変えることはできない」といった無力感やあきらめと戦い、一歩、行動に踏み出す「勇気」が必要だということを確信しているのです。
6
私たち(塗魂ペインターズ)は、けして有力の政治家でもなければ、ましてや、お金持ちでもありません。庶民の中の庶民の、ペンキ屋であります。
しかしながら、千畝の生命に脈打つ世界市民としての魂の鼓動を感じることができます。
そして、カウナスの皆様は、非暴力の「人間の鎖」によって独立を果たした、世界でも稀にみる精神大国の誇り高き市民です。
7
その私たちだからこそ、できることがあるのではないでしょうか…
否、私たちでなければ、できないことがあるのではないでしょうか…
ペイントには蘇生という意味があります。
誇り高きカウナス市民の皆様と共に、杉原ハウスのペイントを通し、絆を深め、
千畝の心に幾度となくこだました「人間には誰しも幸福に生きる権利があり、誰も置き去りにしてはならない!」との思いを、今再び、鮮やかに蘇させたいと思うのです。
8
声を上げたり、行動を起こすことは、何も特別な人間でなければできないことではありません。「平和な生活が送りたい」「大切なものを守りたい」「子供に苦しい思いをさせたくない」との人間として当たり前の感情さえあれば十分です。
戦争のない世界を未来の贈り物にするために、
今、ここカウナスから、カウナスの皆様と、塗魂ペインターズから、「民衆による誓いの連帯」を世界に広げてまいろうではありませんか!