ご挨拶
数あるホームページの中から当ホームページをご覧下さり誠にありがとうございます。
1999年、「お家の塗り替え」と題し、初めてホームページを企画しはじめてからほぼ20年の歳月が経過いたしました。
この間、業界構造や塗料の種類、ホームページのあり方も随分と変わり、当初は真新しかった情報も陳腐化してしまったため、情報の移り変わりの速さに対応し、出来る限り費用を抑えながら自身で更新が出来るように、ブログタイプでホームページをリニューアルしました。また、閲覧環境の変化にも対応し、スマートフォンで快適にご覧いただけるよう、リニューアルを重ねて参りました。
ここで、ホームページによる情報公開が今ほど一般的ではなかった当時に、塗装業界の様々な問題に直面した私が、塗装の必要性や工事内容の詳細、塗料の耐久性、工事価格など、一般の方が知ることが難しく、知らないが為に騙されてしまう危険性の高かった内容を、広く情報公開するに至った経緯を、自己紹介のかたちでお話させていただきます。
ただし、多くの自己紹介が波乱万丈に富み、物語性があることが多いのに対して、私の場合は平々凡々としておりますので予めご了承下さい。
安田 啓一 やすだ けいいち
- 1968
- 東京生まれ
- 1986
- 都立石神井高校卒
- 1991
- 法政大学工学部建築学科卒
- 1991~95
- 株式会社木下工務店勤務
- 1995~
- 安田塗装勤務
- 2002
- 建設業のIT活用(主催:神奈川中小企業センター)
- 2007
- リフォームフェア2007inさいたま(主催:リフォーム産業産業新聞社)
- 2008
- リフォームフェア2008in郡山(主催:同上)
ココロイキ指数:10不器用な少年時代
塗装の職人さんに囲まれて
私は、祖父から始まり父、3人のおじが塗装業に携わるいわば塗装屋家族の中で生まれました。
現在でも福島県の須賀川市にて父の兄(私にとってのおじ)のあとを継ぎ従兄弟が塗装会社を経営し、父の弟(私にとって叔父)が現役の職人として働いております。
と、出だしからこんなことを書いてしまうと、なるべくしてこの職業に就きましたなどとこじつけたくなるのですが、別段このような環境を意識するわけでもなく育てられました。
うちはペンキ屋さんかな?
自分のうちはペンキ屋さんかな?と思い出されるのは
小学生の頃、図工で木製のギターを作る授業があり、課題を家にもって帰ってくると、「木目を木工用ボンドで埋め、乾燥してからペンキを塗るときれいに塗れるんだよ」と言いつつ父がその作品を手にとり、木片で器用に木目を埋めていきました。その後自分でペンキを塗り学校へ持っていったのですが、先生に「これ自分で塗ったの?」と聞かれ、「そうですよ」と答えると「どうやって」などと根掘り葉掘り聞かれ、「ずいぶんうまいなぁ」と先生に首を傾げられたことが記憶にあります。
ようは私以外の誰かが手を加えたことをやすやすと見抜かれていたのです。
今考えれば、下地処理で粗い木目を全て埋め、同級生が市販の水性塗料で仕上げる中、プロ用の油性塗料で仕上げた面がツルツルになっているのだから、そう聞かれるのも無理はありません。
また、これも小学生の頃、自分の部屋を白いペイントで真っ白に塗装したことがありました。
自分では随分と明るくなったなぁなんて満足していたのですが、しばらくして私の仕上げた部屋を見に来た父が、「この部屋をお客さんが見たら仕事がこなくなってしまうなぁ」なんて笑っていたことが思い出されます。
塗装のノウハウなど教わっていなかった私は、思うがままにローラーでコロコロ転がしていったため、ローラーの重なりがあちらこちら見えていたのでした。
以上のように、塗装職人の周りで育った割には別段器用であったわけでなく、どちらかといえば不器用といわれても仕方がありません。
このようなことが原因かどうかは別にして、中学や高校時代は夏休みなどにアルバイトとして、父の会社の手伝いをしたこともありますが、ほとんど他のアルバイトなどをしていました。
もちろん、うちでアルバイトした場合でも刷毛やローラーなどもったことはなく、主な仕事は養生、ケレン、材料運び、清掃などです。
ココロイキ指数:50下地作り~注文住宅の営業マンへ
営業はあわないんじゃないの?
このようなことや、特別誘われたこともなかったため、将来、塗装に関わる仕事をするつもりはありませんでした。
大学では建築を学んでいて、大きな建築物に携わることよりも家族の夢をかなえる住まいの設計に魅力を感じていましたので、卒業後ハウスメーカーに勤めました。バブル崩壊直後のことです。
サラリーマンたるもの会社の要請があれば、好き嫌いは別にして行けと言われるところへ行くのが宿命。
最初は、建築学科出身のわたしはもちろん専門の設計部の予定で入社したのですが、会社の要請もあり、営業マンとして神奈川県川崎市のとある住宅展示場に配属されることになります。
東京の小金井市にて4畳半、共同トイレ、家賃18,000円のアパートに暮らす、人と話すことよりも図面に向かっているほうが多い、垢抜けない理系出身の学生が、住宅展示場にて、慣れないスーツを着、注文住宅を勧める役割を担うことになります。
当時、私を知り、お世話になっていたご近所の方々は一同唖然としていたことが思い出されます。
ふだん、何事においても「夢は途中であきらめなければ必ず叶うんだよ」「無理だなぁなんて自分の心の中に壁は作ってはだめなんだよ」などと、常に前向きな生き方を教えてくれていた方も、あまりにも無謀と思ったのでしょうか?
「安田君には営業はあわないんじゃないの?」「やめたほうかいいんじゃないのかなぁ」など、やる気になっている私に考え直すよう説得に回り、心配をよそに「やると決めたので、できると思います」という世間知らずの無邪気な私を見る目が「現実の厳しさも教えとければよかった」と言っているようの思えたのでした。
そして、それは、社内研修後、入社数ヶ月でやってくるのでした。
住宅展示場では、新築計画が具体的なお客様にご来店していただいた場合、要望をきいて、基本的な間取りを作るプラン取りという仕事があります。
スーツも数ヶ月間毎日来ているとそれなりに見えます。
髪もムースで固め、ワイシャツも毎日着替えています。
敬語や接客マナーも教わりました。
住まいだけはそのままでした。
「玄関は吹き抜けがいいわ!」
「リビングダイニングは20帖程度でコーナーに和室を設けて」
「畳は琉球畳がいわね」
「キッチンは対面で、料理をしながらみんなの顔が見えるように」
「お風呂はヒノキで坪庭をみながらゆっくり入りたいな。」
「2階の洋室はトップライトを設けて寝るときに星が見たいな」
思いつくまま希望をお話しいただき、
そして、
「安田さんはどう思います?」
繰り返しとなりますが、当時の私にとっての住まいは、木造モルタルアパートの1階、しかも部屋の広さは4畳半、窓を開けると塀に手が届き、玄関を入り2歩進むとそこは部屋の中心です。
私は固まり、助け船を出してもらうため、上司の顔をのぞくと、口元が引きつっていたこともしばしばでした。
こんな希望を聞いているとき、あの時の「安田君にはむずかしいんじゃないの」の声が耳元でこだまします。
図面はかけてもイメージが実感できないため、提案などできるはずがありません。
プラン取りの際、「玄関だけで僕の部屋よりも広いなぁ」なんて感心したこともありました。
夢を売る仕事
こんなことから始まりましたが、初契約のお客様には同情でご契約を頂き、10棟以上携わらせていただく頃には徐々に提案力も養われ、多くの方が応援してくれるなか、間取りの計画から家の完成まで4年間で40件近くの夢の買い物のお手伝いをさせていただきました。
夢を売る仕事と申しましても、会社である以上、売上計画もありますし、他メーカーとの競合もあります。
ご契約後は、資金計画から間取りにおけるご家族の意見調整、予算と仕様のバランス調整、工事の際の近隣対策など、けして「夢を売る」から想像できるようなスマートな仕事ではなく、大変な思いもしました。
しかし、実は大変だったこの期間が、ご家族の住まいに対する思い、そのためにコツコツと貯めてきたお金の意味、そのお金を預かることの責任の重大さ、完成した際の最高の笑顔等々、住まいに関わる仕事をしていく上で必要不可欠な感覚を学ばせて頂いていたのです。
それは、後に安田塗装で働く際の下地作りという役割を果たしていたのでした。
実は時をさかのぼること、この会社に入社し1ヶ月が経過した研修中、会社に電話が入り、父とともに会社を経営していた方が亡くなったとの知らせがありました。
もちろん、私にとっても幼少のころから学生時代のアルバイトにいたるまで、とてもお世話になっていた方です。父からはうちの会社の来ないかとの誘いもありましたが、学校を卒業したばかりの新入社員が行ったところで何の手助けも出来ないことは目に見えて明らかです。
複雑な心境ではありましたが3年間待ってほしいとの話をいたしました。
時間は区切られただけでもとても貴重に思えるものです。
上司から普段耳にたこができるほど聞かされていた、一期一会なる言葉が蘇ってくるのでした。
ココロイキ指数:80塗装業界へ~安田塗装入社
建築業界、塗装業界の問題に直面
約束の歳月から1年が過ぎた平成7年 齢27、父の会社に手伝いに来たのですが、しばらくして、この仕事に携わる多くの人が感じることと同様の問題に直面します。
- ・ 悪徳リフォーム会社による欠陥工事の横行
- ・ お施主様の顔の見えない下請け構造
- ・ 下請け構造の中の末端施工店の現実
- ・ 3Kに代表される社会的イメージ
同じ建築業界といえどもあまりにも醜悪なる環境
そして、塗装業界を取り巻く建設業界だけに一方的に醜悪な側面があるはずもなく、
塗装業界を振り返ると
- ・ 下請け構造に慣れた依存体質
- ・ 依存体質に慣れた惰性
- ・ 新しいものを学ぼうとしない傲慢さ
- ・ 履き違えられた職人気質
- ・ 他者をけなすことでしか自身を正当化できない精神的貧困など
問題を挙げれば枚挙に暇はございません。
「どちらもどっちだな」などといい、第3者的立場で見ていられれば気は楽ですが、渦中にいる私にはそれができません。
ホームページでの情報公開へ
別段、正義感が強くなくても環境の醜悪さは誰の目から見ても明らかでしょう。
このような環境に直面した場合、
たとえ、平凡な人生を望み、特別「この業界を変えよう」などたいそうなことを思わなくても、人生の半分以上の時間を費やす仕事において、好ましくない環境に妥協し、自分をごまかすことは不幸といえないでしょうか。
当然のことながら自ら望んで不幸を手にする人はいません。
面倒なことと思われていることに手を出し、批判さえされ、他人に理解されることは少ないけれども、自分に正直に行動することで、すっきりとし心の晴れる日々
面倒なことは避け、批判されることもなく気は楽だけれども、自分をごまかす必要があり、いつも何か引っかかる、どんよりと曇りがかった日々
特別敏感でない私には、後に取引先に干渉されることや邪魔をする人が登場することまで考えが及ばず、選択するのに悩むことなく、当時ホームページを作成し、塗装の必要性や工事内容の詳細、当社におけるネット価格の公表、塗料の耐久性など一般の方が知ることが難しく、知らないが為騙されてしまう危険性の高かった内容を広く情報公開することを選択いたします。
実はこのときと前後して、地域や会社は別々ではあっても同じような考えを持つ、心ある同業者の方々と知り合うこととなったのでした。
ココロイキ指数:100それから十余年
それから十余年、
取引先や同業の友人もずいぶんと変わりました。
また、醜悪な建築業界を取り巻く環境は、今では多くの同業者の方々も同じような内容を唄い、2004年の訪問販売法の改正など、法的にもある程度整備され、少し落ち着いた様子も見られますが、騙し方が巧妙になっている部分もあります。
また、インターネットの普及により、
- ・ 他社サイトのコピーで、著作権侵害サイトを制作し、指摘されてさえ、開き直るモラルなき社長の横行
- ・ 人の揚げ足を取ることに長け、他人をけなすことで自社を正当化することに終始するブログ職人の登場など
新たな問題も出現し、紛らわしさに拍車をかける情報が氾濫している状態といえるかもしれません。
課題はいつの時代になっても形を変え存在し続けるものなのでしょう。
濁もあれば清もあり
さて、愚痴っぽいほどに問題ばかり挙げてしまいましたが・・・
濁もあれば清もあり
- ・ 施工業者や職人を現場の第一戦と評価して下さる元受の監督や社長
- ・ 多段階構造の業界のかかえる課題に対し真正面から取り組む塗装会社の社長
- ・ 不器用にも関わらず、真っ正直に努力し続ける親方
- ・ 慎ましい生活を送り、技術の鍛錬に励む職人
- ・ ビールを前に「普段は発泡酒なんだけど」と微笑む親方など
こんな人たちとの出会いもあります。
しかし、概ねこのようなタイプの人たちは、誰がどう見ても、明らかに苦労をしていて、いかにも大変そうなのです。
だから一見すると、「このような人みたいになりたいなぁ」などと、他人に羨まれることとは正反対の評価をされることが多いでしょう。
しかし、この人たちの充実感に満ちた、心の底からの笑顔に接するとき、とても心地よく、活力さえもらうことができたりする、なんとも不思議な時間を過ごせることがあります。
もしかしたら、皆様の周りにも似たようなひとがいるのではないでしょうか?
------ なぜこんなに大変なのにかくも生き生きとしているのか -------
ふと、多くの人、いや、みんなが自分に対し正直に生き、充実感にあふれる生き方を望んでいるはずなのに、なぜそれができる人があまりにも少ないのだろうかと思うことがあります。
充実感に満ちた生活を望んでいるにも関わらず、もしかしたら、目の前にある課題に対し見ないふりをすることから始まり、面倒なことは少しずつ後回しにし、人に羨まれることを満足と勘違いしてしまい、何かおかしいと思いつつも自分をごまかし続け、自分の望む生き方とは全く正反対の生き方となってしまいながらも、自身に向き合うことを恐れ、結果として自分は不幸になり、周りには多くの問題を生み出してしまったのかもしれない。
実は誰もがはまりやすい落とし穴で、けして自分とは無縁のことでないのではないだろうか。
先に挙げた建設業界や塗装業界の課題、外を批判する際の眼(まなこ)を自分自身に向けたとき、自分に甘く他人に厳しい側面をけして否定することはできません。
実はそういった自分自身に甘い側面が、種となり、いつしか芽が出、日々の忙しさに翻弄される中、気づかないうちに成長し、人を傷つけていることに鈍感になり、気づいた時には、見栄っ張りで空虚な自分自身が残り、多くの課題を生んでしまっているのではと思うことがあります。
外なる問題の種子は、自分の心の中にも確実にあり、自分も落とし穴に落ちてしまう可能性は十分にあるのではないだろうか。
自身自身を見つめ直して
であるならば、まずは
自身自身を見つめ直すことから始めなければならないのでしょう。
社会の抱える課題に対し、批判的な眼(まなこ)を、同じく自分自身にむけ、
真摯に仕事に取り組み、ご依頼くださった方から喜びの笑顔を頂くことで、自らを顧み、
これでよかったんだなと再確認し、
不安に思っている方々のために、安心していただく面倒を厭わず、
この業界のせいでいやな思いをさせられてしまった方々への信頼回復に努め、
結果、努力が実り心から笑顔をもらうことで、自分の行為の正しさを再確認することでしか、
自分に甘い自分、すなわち、問題化する前の芽を摘むことが出来ないのかもしれません。
結局のところ、仕事においてはこのことこそが自分自身を形成し、自分の大切な人々が守られることにつながり、充実した日々に直結していく気がしてなりません。
たとえ、目の前に面倒な課題があり、避けようと思えばうまく避けることが出来たとしても、
生活が大変な中、不器用だけども、正直で、心の底からの笑顔を教えてくれた人々に恩返しができるよう、
塗装業に携わり、誠実で、勉強熱心な方々が充実感をもてるよう、
その方々を支える健気で慎ましいご家族が誇りの持てるよう、
なにより自分自身が胸を張って納得できる日々が送れるよう、
様々な課題に、真正面から取り組んでいきたいとおもいます。
そのために一歩踏み出す努力をおしみません。
まずは、原点を忘れず、ご依頼いただいたお施主様に心から喜んでいただけることから努力させていただく所存です。
最後にわかりやすいウェブサイトを目指し、ご協力くださいました、ウェブデザインをご担当下さいましたフォレスタジオの尾引さん、イラストをご担当下さいました森のくじらさんに、心より御礼申し上げます。
安田塗装 安田啓一