施工開始日、ホテルの前にて
幸子夫人が植えたと言われる林檎の木の下で、
いつも施工部隊の先頭に
大野隊長を中心に団結する施工部隊
大野隊長を陰で支えるネタ場メンバー
今回、スギハラハウス再生プロジェクトの施工の全責任を担い、足場に上り、第一線で施工に携わったのが岐阜県は大野塗装、大野将司社長、このプロジェクトの隊長です。
▶大野塗装のホームページ
彼は杉原千畝と同郷、根っからの職人で言葉は多くを語りませんが、責任感は人一倍強く、そして、あまりにも人の心の機微がわかる優しい男です。
今回使用する塗材は、ボランティアと言えども、私たちで決定できず、全てリトアニア文化遺産局の意向に沿うべく、どのような塗料になるのか、一か月前までわからなかったこと、
決定された塗材は、シリカットペイントといって、大理石や石灰などの粉末状の塗材とガラス水を決められた比率で攪拌し、特定の時間寝かさなければ使用できない、ヨーロッパでは500年もの間引き継がれる伝統的な塗材で、施工の難易度が高く、日本では扱われていない塗材であること、
そして、仕上げ塗装に関しては、下地のプラスターの凹凸に塗材が入らないため、ローラーが使用できず、 全て刷毛塗り、塗るのが遅く乾いたところに塗重ねてしまうと、ムラだらけになってしまい失敗してしまう材料であること、
ここような条件で、明らかに、いつものように笑顔で話しながら、たまには誰かと交代しながら、のんびりできる作業ではないことを知ります。
ムラなくきれいに仕上げるためには、等間隔に足場の上の並び、連携のとれたチームワークで、仕上げに細心の注意を払いながら、上から同時に降りてくる方法をとるしかありません。
したがって、日本からスギハラハウスを蘇生させるために、会社を空け、しかも手弁当で、8000キロの距離を超えて駆け付けてくれた腕利きの職人の中から、足場に上がれる10人程度を選抜しなければならなくなってしまったのです。
明日には作業を進めなければなりませんので、今夜中に選抜しなければならないのです。
大野隊長は、心の機微が痛いほどわかる、優しい男です。
そして、自分が職人だけに、職人の気持ちが痛いほどわかります。
「このために来たのに、現地に来て実は十数名だけしか塗れないことを知り、かつ、自分が選抜メンバーに選ばれなかったら、どんなにつらいだろう…」
そう思うと、一人一人の表情が目に浮かび、胸の締め付けられる思いとなり、涙が止まらなくなってしまうのです…
次の日、案の定、名前を呼ばれなかったメンバーの表情が曇ります。
それだけでも胸の締め付けられる思いの中、プロジェクトを成功させなけれればならなかったのです。
———つづく
※映像は9月のスギハラハウスプロジェクト完了後に作成させて頂いたものです。