【スギハラハウス】の記事

スギハラハウス

塗装ボランティアで平和や差別反対を訴える

大変光栄なことに、朝日新聞の(ひと)の欄にてご紹介頂きました。

朝日新聞様の温かなご厚意に心より感謝申し上げます。

(ひと)安田啓一さん 塗装ボランティアで平和や差別反対を訴える

20170927_a.jpgのサムネール画像

お客様と共に、地域の皆様や子供たちと共に、塗装業界の仲間と共に ...誰もが心豊かに生きる社会の実現を目指して。安田塗装の社会貢献活動

スギハラハウス

陰の大功労者

感謝状を受け取る平尾社長

感謝状を受け取る平尾社長

平尾社長と上林さん

平尾社長と上林さん

塗魂ペインターズ

塗魂ペインターズ

ネタ場管理のペインターズ

ネタ場管理のペインターズ

クライデェツァイト(ドイツ製)

クライデェツァイト(ドイツ製)

陰の大功労者
陰の大功労者
陰の大功労者

敬愛なるプラネットジャパン 平尾和眞様

-スギハラハウスプロジェクト 陰の大功労者-

「人間は誰しも幸福に生きる権利があり、誰も置き去りにしてはならない」

塗魂ペインターズは、9月初め、今再び、世界に漂う差別主義や国家主義の兆しの暗雲を打ち破り、杉原千畝の世界市民としての魂の鼓動を蘇らせ、「民衆による誓いの連帯」による平和実現の大切さをカウナスから世界へと発信するため、カウナスの杉原千畝記念館の再生に携わらせて頂くことができました。

お忙しい中、現地に馳せ参じて下さった皆様はもとより、寄付をお寄せくださいました皆様、日本で成功を祈り見守って下さいました皆様に、あらためまして心より御礼申し上げます。

なかんずく、予め現地に赴き、リトアニア文化遺産局との打ち合わせから、仕様決定、材料支給、材料搬入の事前確認等、このプロジェクトの根幹を、全て無償にて担って下さったプラネットジャパン平尾社長ご夫妻に心より感謝申し上げます。

この建物は、カウナス市から塗魂ペインターズによるボランティア塗装が許可されたとはいえ、市民の皆様にとっても平和の大切さを世界へと発信する大切な財産であること、また、国境を越え、世界記憶遺産の申請中ということもあり、リトアニアの文化遺産局の合意を得られなければ何も手を付けられない状態でした。

すでに日本国内においては、新聞などで、塗魂ペインターズによるスギハラハウスのボランティア塗装が決定事項として扱われていた7月になっても、実は施工仕様が何ら決定していないという状況だったのです。

そんな中、平尾社長は、自分のためではなく、塗魂ペインターズの信頼を失わせてはいけないという真心と責任感から、奥様と共にリトアニアまで渡航し、リトアニア語の通訳を雇い、友人である隣町のビリニュスのサウリウアス氏の協力を仰ぎ、十数回の打ち合わせを根気よく続けて下さったのです。

その目に見えない陰のご尽力があったからこそ、文化遺産局の背中を後押しし、施工仕様が決定され、この時点で初めて、塗魂ペインターズのボランティア施工が正式に認められたのでした。

実に、塗魂が渡航する日程の、わずか1ヶ月前のことでした。加えて、上記の段取りは、すべて平尾社長ご自身と、サウリウアス氏の手弁当で実施されたのです。

さらに、私たち塗魂本隊が赴く前日にはカウナスに前乗りされ、材料の仕入れ確認をし、二人揃って私たちを出迎えて下さったのです。

ここまでして、平尾社長が動いて下さった背景には、社長自身の誠実なる人間性はもちろんのこと、スギハラハウスをドイツ製の塗料で再生させることに、ご自身自ら、深い意味を見出して下さったからに他なりません。

平尾社長がこの材料の輸入元であるドイツ『クライデツァイト』社のスタッフや関係者の皆様の前で、今回のプロジェクトの話した折、ドイツ人の恩師が優しく微笑み、

「たとえ僅かでも、過去の歴史の償いになれることは、とても意義深いことです。平尾さん、ありがとうございます。」と声をかけられたのです。その恩師の真心に何としても応えたいという、平尾社長の深い決意があったからに違いありません。

師曰く、「陰の立場の人が本当に大切である。幹部は、その人たちの心を大切にしていかなければならない。陰の支えがあって、表舞台で活動させて頂いているということを、けして忘れてはならない」

そして、「知恩 、報恩は人間性の精髄である 。忘恩は人間性の放棄である 」

さらに、「陰で奮闘してくださっている方々への、深い感謝の思いがあってこそ、組織に温かい人間の血が通うんです。それがなくなれば、冷淡な官僚主義となってしまう。」と

このようにスギハラハウスの再生に深い意義を見出し、陰で献身的に動いて下さった方がいたからこそ、このプロジェクトが成功を収めることができましたことをここに書き留めておきます。

なぜなら、あらゆる組織は、陰の功労者に光を当て、感謝できる人間の集まりであってこそ、初めて存続させる意味があるからです。

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スギハラハウス

日本の「ペンキ屋」、「命のビザ」旧領事館を修復

 ありがたいことに、塗魂ペインターズのカウナスの様子が朝日新聞に掲載されました。

私たちにご同行下さいました、中島記者に心より感謝申し上げます。

日本の「ペンキ屋」、「命のビザ」旧領事館を修復

20170910_a.jpgのサムネール画像

 

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スギハラハウス

カウナスでのひと時

スギハラハウス希望の門の前で

スギハラハウス希望の門の前で

はじめての自由時間

はじめての自由時間

カウナスの優しい人々

カウナスの優しい人々

緊張から解放された笑顔

緊張から解放された笑顔

カウナスでのひと時
カウナスでのひと時
第九要塞前で偶然スギハラハウスの館長と

第九要塞前で偶然スギハラハウスの館長と

カウナスでのひと時
第九要塞博物館にて

第九要塞博物館にて

カウナスでのひと時

 昨日スギハラハウスの外壁塗装も無事終了し、早朝、完成した杉原ハウスを見に行き、そののカウナスの街を散策に参りました。

今日はメインストリートに雑貨や屋台が並ぶ日だったようで、日本で待っている家族や友人にお土産を買うのにちょうどよい一日となりました。

ボランティアとは言え、ホロ―コーストという負の歴史から国家の命令に反し多くの命を救った人道と平和の象徴であり、世界記憶遺産申請中の建物を仕上げることの緊張から解放され、ここカウナスに来てはじめてゆっくり街並み見たり、人々の表情に目を向けることができたのだと思います。

さて、この日は少し足を延ばしカウナス市にある歴史建造物の第九要塞をを見に行ってまいりました。

カウナスには19世紀に帝政ロシアが建造した12カ所の要塞がありましたが、後にそれらは要塞は破壊され、この九番目の要塞が唯一現存する要塞となりました。

第二次世界大戦の最中、リトアニアを占領したナチス・ドイツはリトアニアの各地から5万人にも及ぶユダヤ人をこれらの要塞に収容し、その多く強制収容所に送り虐殺したと言われています。

この悲惨なる歴史の教訓は、悪の芽に気付いたら、たとえ自分自身に火の粉が降りかからなくても、放置してはならないということに違いありません。

政治活動の初めから終わりまで、ユダヤ人に対する憎悪を燃やしつづけたヒトラーは、表向きは民主主義に従うふりをし、巧みに世論を扇動し、自分の気に入らないことは全てユダヤ人に結び付け、自己の妄想のまま、凶器の暴走をはじめたのです。

そして、この狂気に対し本気になって抵抗しようとしたときには、ナチスはドイツを意のままに操る強大な怪物に育ってしまった。

多くの人々が、ナチスのユダヤ人迫害を目にしても、黙って、何もしなかったからに他なりません。

ユダヤ人に対する偏見が広がり、ユダヤ人と他の人々の間に、心の壁ができればできるほど、迫害や支配が容易になり、結局は、見て見ぬふりという、傍観がナチスの論理を与することになってしまたのです。

心の状態で言うならば、いじめの構図と似ているのではないでしょうか…

キリスト教会における、反ナチ闘争の中心人物となったマルティン・ニーメラー牧師は、ナチの暴虐が進んでいくのを目の当たりにし、どのように思ったのたかを次のように回想しております。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。

私は共産主義者ではなかったから…

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。

私は社会民主主義ではなかったから…

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。

私は労働組合員ではなかったから…

そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。

このような惨劇を2度と起こさないためには、あらゆる人々が、国家や民族、宗教などの差異による偏見や憎悪を乗り越え、同じ人間として友情を結び、傍観者になることなく、悪の芽を早期に摘み取る土壌を養っていくことこそが、迂遠のようであって、最も確実な方法なのではないでしょうか…

塗魂ペインターズの各地における塗装でできる社会貢献活動がそのような土壌づくりの一端を担うことができれば幸いです。

 

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スギハラハウス

尊敬なる大野隊長3

杉原さんと同郷の大野隊長

杉原さんと同郷の大野隊長

 仕上げ塗装2日目、1日目に仕上を見て、美しく仕上がっているのを見て安心します。

前日と全く同じ作業であることや、一度塗材が塗られていることで、刷毛の滑りも良くなるのでスピードもアップいたします。

当初、完成困難と思われていた現場が、午後にはようやく先も見えはじめ、作業中の表情も和らいできました。

この数日間、どれほどの緊張感に耐えていたことでしょう…

この数日間、どれほど杉原千畝の心に思いを馳せ、心の中で彼と対話したことでしょう…

そして、どれほど、ひと刷毛ひと刷毛に、平和への祈りを込めたことでしょう…

完成し足場から降りてくるとき、大野さんの頬に涙が伝わったのをけして忘れることはありません。

 

ここに、彼が杉原さんの執務室で撮影された一枚の写真があります。

私には、この写真を見ると、不思議と、大野さんが杉原さんの肩に手を添えてるようにも見え、

杉原さんが「大野さん、ありがとう」と喜んで下さっているように見えてなりません。

ヨーロッパの諺に「深い川は静かに流れる」と

言葉は少なくても、誠実と真心で現場の陣頭指揮を執って下さった親友に、あらためて心より感謝申し上げます。

映像は9月のスギハラハウスプロジェクト完了後に作成させて頂いたものです。

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