201409/22
北海道夕張ボランティア第1弾
2007年353億円の赤字を抱えて財政破綻した北海道は夕張市、借金を18年かけて返済する計画を立て、職員は260人から100人、報酬は40%カット、数年前は極端な経費削減の為、市役所では5時になると暖房が切られ、職員はスキーウェアや手袋をはめながら業務をしていたほどでした。外はマイナス20℃。
そんな夕張市の現状を知っていた我ら塗魂ペインターズの応援団長でもあり板橋区議でもある松島先生の橋渡しによって夕張市の市役所内を断熱塗料のガイナで塗装させて頂くこととなりました。
そこで、私たちは一人の凛々しき青年に出迎えられることになります。
その青年はもともとは東京都の職員、2008年都の方針によって夕張市へと派遣にとなります。
青年の資質であろうか、はたまた宿命ゆえか、純粋に誠実にに夕張の人たちの生活がどうしたらよくなるか考え仕事に取り組んでいました。
当初派遣期間は1年、しかし、真剣に取り組めば取り組むほど、1年はあまりにも短すぎることえを痛感いたします。
そこで、自ら上司と掛け合いもう1年延ばしてもらうことといたしました。
2年目は再生計画に当たっていたためそこに市民の皆様にとって有益な計画を盛り込もうと、自身の母校である法政大学や地元の北海大学などに協力を得ながら孤軍奮闘します。
そんな真摯な姿は夕張の方達に、東京へ帰ってしまうのではなく、夕張のに残ってほしいという思いを湧き立たせずにはいられませんでした。。
丁度その時市長選があります。
仕事やボランティアの仲間から夕張市長への出馬を考えてほしいとの白羽の矢が立ちます。
しかし、当時は結婚も控え、さいたま市内にローンを組んで家も買ったばかり、例え出馬したところで応援してくれる強い組織もない、落選したら無職、たとえ当選しても市長の月給は手取り20万円に満たない。
人生で初めてと言っていいほどゆるも眠れないほど悩むことになります。
ふと、これだけの不安要素があるのに、なぜ、直ぐにはっきり断る事が出来ないのだろうかと自問自答します。
夕張市で暮らす一人一人の顔を浮かべながら私心無く仕事やボランティアにと2年2か月共に時間を刻んだ仲間たち、ここで終わる事よりも、できることなら夕張の仲間たちともっと夕張のために働きたい、否、他の誰ではなく、自分が市長なれば、夕張にプラスをもたらせるに違いない。
幸い学生時代から様々なアルバとも経験し、体力には自信がある。例え収入が減ったとしても妻一人くらいであれば十分養っていくこともできる。一度の人生を後悔で終わらせたくはない。そんな強い思いが何度も去来し、都の職員を退職し出馬を決意します。
しかし、当時29歳、退職したので無職、お金もない、政党の推薦なしの無所属、、他候補は錚々たる政党の推薦あり、選挙資金が豊富な候補がいるなかの出馬なので、逆風も逆風の中での出馬でした。
ある時大手新聞記者は、事務所で手伝ってくれている仲間に「なぜ勝つ見込みのない鈴木氏を応援するのですか?」などという辛辣な質問耳にすることがありました。
落ち込んだこともありました。
しかし、退職時に話してくれた「俺は裸一貫でチャレンジする無謀な若者を見殺しにはしない」「この選挙に勝つためには夕張にいる人たちの直接会うしかない」との前石原都知事アドバイスを思い起こし一人一人会って自分を知ってもらうことを決意、4か月間毎日、6000世帯のうち5700世帯以上の合う事となる
地道で誠実で自身の足を使っての行動はけして裏切ることはありませんでした。
政党推薦候補や資金的に恵まれていた候補を撃破し当選の栄誉を勝ち取る事が出来ました。
その方が私たちを出迎えて下さった、鈴木直道夕張市長であります。
北海道はあまりにも広い。北海道メンバーにとっても車で数時間、多くの塗魂メンバーは飛行機で駆け付ける中、「遠いな」との思いが頭を過りましたが、鈴木市長に出会ったとき、きっとこの方の思いが私たちを夕張市に呼び寄せたのだろうと確信致しました。
今回は市役所ですが、来年は夕張市の子供たちと一緒になって幼稚園や学校を塗らせて頂くことを約束、夕張市と塗魂ペインターズによる夕張プロジェクトの始動です。