201709/09
カウナスでのひと時
昨日スギハラハウスの外壁塗装も無事終了し、早朝、完成した杉原ハウスを見に行き、そののカウナスの街を散策に参りました。
今日はメインストリートに雑貨や屋台が並ぶ日だったようで、日本で待っている家族や友人にお土産を買うのにちょうどよい一日となりました。
ボランティアとは言え、ホロ―コーストという負の歴史から国家の命令に反し多くの命を救った人道と平和の象徴であり、世界記憶遺産申請中の建物を仕上げることの緊張から解放され、ここカウナスに来てはじめてゆっくり街並み見たり、人々の表情に目を向けることができたのだと思います。
さて、この日は少し足を延ばしカウナス市にある歴史建造物の第九要塞をを見に行ってまいりました。
カウナスには19世紀に帝政ロシアが建造した12カ所の要塞がありましたが、後にそれらは要塞は破壊され、この九番目の要塞が唯一現存する要塞となりました。
第二次世界大戦の最中、リトアニアを占領したナチス・ドイツはリトアニアの各地から5万人にも及ぶユダヤ人をこれらの要塞に収容し、その多く強制収容所に送り虐殺したと言われています。
この悲惨なる歴史の教訓は、悪の芽に気付いたら、たとえ自分自身に火の粉が降りかからなくても、放置してはならないということに違いありません。
政治活動の初めから終わりまで、ユダヤ人に対する憎悪を燃やしつづけたヒトラーは、表向きは民主主義に従うふりをし、巧みに世論を扇動し、自分の気に入らないことは全てユダヤ人に結び付け、自己の妄想のまま、凶器の暴走をはじめたのです。
そして、この狂気に対し本気になって抵抗しようとしたときには、ナチスはドイツを意のままに操る強大な怪物に育ってしまった。
多くの人々が、ナチスのユダヤ人迫害を目にしても、黙って、何もしなかったからに他なりません。
ユダヤ人に対する偏見が広がり、ユダヤ人と他の人々の間に、心の壁ができればできるほど、迫害や支配が容易になり、結局は、見て見ぬふりという、傍観がナチスの論理を与することになってしまたのです。
心の状態で言うならば、いじめの構図と似ているのではないでしょうか…
キリスト教会における、反ナチ闘争の中心人物となったマルティン・ニーメラー牧師は、ナチの暴虐が進んでいくのを目の当たりにし、どのように思ったのたかを次のように回想しております。
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。
私は共産主義者ではなかったから…
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。
私は社会民主主義ではなかったから…
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。
私は労働組合員ではなかったから…
そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。
このような惨劇を2度と起こさないためには、あらゆる人々が、国家や民族、宗教などの差異による偏見や憎悪を乗り越え、同じ人間として友情を結び、傍観者になることなく、悪の芽を早期に摘み取る土壌を養っていくことこそが、迂遠のようであって、最も確実な方法なのではないでしょうか…
塗魂ペインターズの各地における塗装でできる社会貢献活動がそのような土壌づくりの一端を担うことができれば幸いです。