201701/31
[ガイナでボランティア]
ガイナで地球と人に優しい暮らし。ガイナの心を知る施工店 安田塗装におまかせください!
201701/31
[ガイナでボランティア]
201701/01
[ガイナでボランティア]
新年あけましておめでとうござます。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
さて、昨年の年末の出来事ではありますが、
この度、安倍総理の奥様の昭恵夫人が会長をなさっている社会貢献支援団体より、「社会貢献支援者賞」を頂くことができました。
塗魂ペインターズは、「塗装でできる社会貢献」のテーマを掲げ、2009年に17社で仮発足し、「思い付き」や「偽善者」などと心無い言葉を投げかけられることもありましたが、
2014年には100社とボランティア実績30件を達成し、本結成式を行い、公に船出を致しました。
そして、本結成より2年目にして現在は北海道から沖縄まで145社、
ある時は、特別支援学校の子供たちと共に、ペンキを塗り
ある時は、難病で離ればなれになった親子のために一緒に過ごせる施設を塗り、
ある時は、虐待で保護された子供たちと共に同じ時間を過ごしました。
そして、現在まで全国で70か所以上のボランティア現場を行い、
東日本大震災や熊本地震などの支援にも携わらせて頂きました。
海外初のボランティアでは、ハワイでの活動後は真珠湾のアリゾナ記念館で献花をさせて頂き、
ベトナムのホーチミンにも参りました。
そんな活動の様子をじっと見守って頂き 、ご評価して下さったことに素直にうれしく思います。
しかしながら、いかなる賞や賛美より、この活動で出会った仲間の笑顔や子供たちの笑顔こそが自分自身の人生を飾り、父や叔父を含め、塗装業界で家族や友の幸せのために一生懸命貢献して下さった名も無き塗装職人の恩返しにつながっていくことを確信しています。
塗魂ペインターズの皆様と陰ながらいつも応援して下さっている応援団の皆様に心より感謝申し上げますとともに、
一人の人間に無限の可能性があり、未来を変えることができることを証明するため、
「心の中の平和の砦を築く」ため、
自分自身の小さなエゴを打ち破り、一人一人の心の中に、勇気と希望の春風を送る行動のさらなる前進の誓いとさせて頂きます。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
201610/10
[ガイナでボランティア]
本日は、塗魂ペインターズの執行部を新執行部に継承する継承式が行いました。
本日をもって会長の任を2代目宮嶋会長に引継ぎさせて頂き、これからは顧問として携わらせて頂くこととなります。
会長任期中は、支えてくださいました池田会長代行、原田会長代理、各方面長、顧問、各方面の一人一人のメンバーの皆様、そして、誰よりも塗魂応援団と協賛メーカーの皆様に心より感謝申し上げますとともに、継承して下さる、宮嶋会長はじめとする新執行部の皆様に心より御礼申し上げます。
以下は会長として最後にご挨拶させて頂いた全文となります。
—————————————-
宮嶋会長就任並びにあたらなる布陣による新出発
まず、塗魂応援団の皆様、協賛メーカーの皆様、本日は大変大忙しいなか、また遠方より、我らが闘将、宮嶋会長就任、新たなる布陣による新出発にお越し頂き、誠にありがとうございます。
皆様がいらっしゃるからこそ、今の私たちがあります。
このご恩は決して忘れることはありません。
生涯を通し御恩に、報じてまいりますことをお誓い申し上げます。
どうかこれからも温かく見守っていただき、共に歩んでくださいますようお願い申しあげます。
さて、塗魂家族の皆様、宮嶋会長誕生、誠におめでとうございます!
宮嶋会長の誕生は、いかなる試練があろうともすべてを乗り越え、未来永劫にわたって塗魂が輝き行く兆しだと思いますが兄弟の皆様いかがでしょうか!
本当におめでとうございます!
塗魂は今日お集まりいただいた一人一人のために結成しました。一人一人が主役です。
将の将たる宮嶋会長の共に、ますます仲良く、朗らかに、あらゆる試練を乗り越えて、大勝利の人生を共々に歩んでまいりたいと思いますので、どうかよろしくお願いいたします!
誰もが無限の可能性を秘め世界に変化をもたらせる
さて、塗魂ペインターズは、この社会貢献活動を、世代から世代へ継承し、永続ならしめようと考えております、否、決意しております。
それはいったい何故なのか!
それは、たとえどんな境遇であろうとも、誰もが無限の可能性を秘め、未来を変えることができる。
それを我らが命をもって証明するためであります。
同時に、ほかでもない、塗魂家族一人一人が限りある人生を「わが人生に悔いなし」と言い切れる生涯を歩むためであります。
そのために、己の小さなエゴを打ち破り、友のため、社会のため、一人一人の心の中に希望と勇気の春風をおくる「絆深き連帯」を築いたのであります。
自分だけの幸福もなんていうものはあるわけがない。
と同時に、他人だけの不幸もない。
なぜなら、世界のあらゆる人が、目には見えない「関係性という名の糸」でつながっているからであります。
ゆえに、自分が幸せになりたいのであれば、出会う人、一人一人を大切にし、しあわせにする。
これが塗魂ペインターズの哲学なのであります。
誰よりも悲しい思いをしたから、人の心がわかる人間に
思い起こせば、活動当初は悔しい思いをされた方も多いと思います。
ある時は、長続きしないだろうと言われ、
ある時は、偽善者と罵られ、
ある時は、「自分のことで精一杯の人間がボランティアとはいいご身分だな」と揶揄された。
時を遡れば、人生もけして順風満帆ではなかったはずです。
生まれた境遇を恨んだこともあったかもしれない。
あまりにも素直で、人を信じやすいがゆえに、騙されることも度々あったことでしょう。
また、若くして、愛する人と別れなければならない悲しみ経験した方もいるはずです。
どちらかといえば、だれよりも悔しい思いをし、誰よりも悲しい思いをして来たのではないでしょうか…
しかし、だからこそ、私たちは誰よりも人の心がわかるようになったのであります。
だからこそ、友の喜びをわが喜びとし、友の悲しみをわが悲しみとできるようになったのです。
振り返ってみれば、これまでのあらゆる試練が、そして労苦が、私たちの心を鍛え、あらゆる人を幸せにする力を養ってきたのであります。
あるときは特別試案学校で…
この数年皆様は、否、兄弟たちはあらゆるところで、あらゆる人の心の中に勇気と希望の春風を送ってまいりました。
ある時は特別支援学校の子供たちとペンキを塗り、子供の可能性を垣間見た父から満面の笑顔を引き出した。
ある時は難病で離ればなれになってしまう親子のために、一緒に過ごせる施設をぬり、病と戦う勇気を引き出すことができました。
ある時は虐待で保護された子供たちと一緒に過ごし、親がいなくても、自分自身で明るい未来を切り開くことができるということを伝えようとしました。
戦後70年目は平和の祈りを込めて広島より出発し、核兵器のない世界を願い、長崎にも参りました。
海外初のボランティアでは、真珠湾のアリゾナ記念館で献花し、塗魂家族が平和のために何ができるか模索した。
ベトナムでは、ホーチミンの戦争博物館にたちより、爆撃機から逃げ惑う子供たちを目にし、戦争の愚かさを心に刻み込みました。
そして、震災の爪痕深き女川と熊本で、「絆深き連帯」を永続ならしめることを誓ったのであります。
この地上から「悲惨の2字」を消し去りたい
たとえどんな境遇であろうとも、誰もが無限の可能性を秘め、未来を変えることができる。
それを我らが命をもって証明したいのであります。
甚だ僭越ではございますが、私たちの願い、否、塗魂の誓いは、この地上から「悲惨の2字」を消し去ることであります。
私たちは、自分のことだけを考える、卑怯な歴史の傍観者にはなりたくはない。
私たちは、一人ひとりの心の中に希望と勇気の春風を送り、堂々と歴史を塗り替える主人公になりたいと思いますが、塗魂兄弟の皆様いかがでしょうか!
ある人は言う、ペンキ屋ごときが、世界や歴史なんて変えられるわけがない。
何かに挑戦すると、利口ぶった傲慢な批判者が現れる。
これはいつの時代も通じる歴史の方程式であります。
過去に同じようなことを言われた、ある男はこう答えました。
世界といたって、何千何万という人々を見回すことが必要なのではない。
その時、その時に、一人の命に触れるかどうかが大切なのだ。
一人に命に触れ、その命に希望を与えることができたなら、勇気を引き出すことができたのなら、それこそが私たちの作り出せるもっとも大きな変革なのだ。と
これは、のちに偉大なる魂と呼ばれた、マハトマ・ガンジーの言葉であります。
ある平和学者はこういった
未来の動向を決定するのは、自らの可能性を否定しない、活動的で献身的なほんの一握りの庶民です。その人々がやがて文化の総体を変革する。
本日は、我らが闘将宮嶋会長と共に、未来の動向を決定する陣列につらなることをお誓い申し上げ、魂のバトン継承のご挨拶とさせていただきます。
本日は誠にありがとうございました。
201607/30
[ガイナでボランティア]
本日は横浜市西本郷小学校による親子塗装教室、
60周年の佳節、お世話になった学校をきれいにしたい、「あとから入ってくる新入生に何かを残してあげたい」「今いる生徒たちに喜んでほしい」「卒業の思い出をつくりたい」そんな真心から親子で学校のペンキ塗りをしようとなったところ、偶然にも私たち塗魂ペインターズのことを知ってくださり、6年生と親御さん有志、塗魂ペインターズのコラボによるこの度に塗替え活動となりました。
私たちの活動は、けして背伸びするわけでなく、自分たちのありのままの姿で、自分らしく、相手を笑顔にすることで、自分自身も照らされゆく、自他共の幸せを目指す活動です。
もう少し詳しく表現すると、相手に喜んでいただき、感謝していただけることで、そこに自分自身の存在意義が実感し、それを糧にすることで経済活動においても実績を出し、その実績で生み出した利益を社会貢献活動にあて、さらに多くに人に喜んでもらうことで更なる心の糧を得、それを燃焼させ、更に広い社会での戦いに向かい、自他ともに喜びある循環を志向する仲間たちです。
自分だけの幸せもなければ、他人だけの不幸もない、
自分という一人の人間は、単独ではけして存在することはできず、友人、愛する家族、尊敬する先輩、地域の人々、それらの人々との関係の中にこそ自分自身が存在し、けして切り離して考えられるものではないことを知悉しているからなのであります。
そして、このような活動を継続する中で、様々な人たちと出会い、ある時は悲しみを、ある時は喜びを分かち合うことで、本来、人間に上下などはなく、「他者の命も自分の命と全く等しく尊い存在」ということを心の底から実感することができるのです。
出身がどうだとか、お金があるとかないとか、学歴があるとかないとか、少数派だとか多数派なのか、そんなことは個性であっても、上下になりうる属性にはならないことは知悉しぬいているのです。
さて、先日、相模原市における障害者施設を襲い何人もの尊い命を奪うという許しがたき犯行がありました。
突然奪われた尊い命のことはもとより、ご家族の気持ちに思いを馳せると、あまりにも痛ましく、あまりにも悲しく、と同時に憤り抑えがたく、絶対に許すことのできない蛮行であることは言うまでもありません。
歴史を振り返れば、人種差別による大量虐殺があった時代がありました。
しかし、これは、今なお、けして過去のこととして片づけることのできません。
最近では、フランスのミースやバングラデシュで行われたテロによる残虐行為もあった。身近なところでは、憎悪に支配されたヘイトスピーチがあり、いじめも絶えることはありません。
そして、そこに必ずと言っていいほど、当事者に群がり一緒になって憎悪を煽る狂気じみた人々がいて、悲しき無関心な傍観者も存在します。
外面には様々な形で現れますが、これらの差別の根源に対し、インドの先哲釈尊は、「人の心の中に見がたき1本の矢が刺さっているのをみた」と表現し、人の心に巣食う他人を見下だし自分自身を優位に立たすねじ曲がった自己愛を喝破しておりました。
オバマ大統領のミシェル夫人も、自分の幼少のころの体験の中で、差別を話しする際に引用したのは有名な話でもあります。
はなはだ生意気ではございますが、私たちは塗装ボランティアを通して古い遊具や校舎を塗り替えることを通じて、人々の心を塗り替えたい。
私たちが活動を通し心から実感している感覚…
本来、育った環境、職業や趣味、信条や生き方、民族、宗教に至るまで、差異は差別の対象ではなく、光り輝く個性という多様性の源であるとはっきり申し上げたいのです。
私たちは、ありのままの姿で、自分らしく、相手のこれまで紡いできた人生の物語に真摯に耳を傾け、あらゆる人と友情を育み、一人一人の心にあかりを灯すことで、自身が照らされゆく、自他共の幸福を目指してまいります。
それが塗魂ペインターズの理念だからです。
201604/11
[ガイナでボランティア]
ここで生まれた人々は愛する祖国ベトナムをこう称える。
「金色の山々と銀色の海が広がる麗しきふるさと」
しかし、この麗しきふるさとがどれほど悲惨な戦争に蹂躙され悲しい思いをしたことだろう…
フランスによる植民地支配、日本軍の進駐、太平洋戦争が終わり、ようやく独立国家をたちあげるや束の間、再びフランス侵略による南北分断、8年の歳月が過ぎ、必死の思いでフランスから守ると、まさかの大国アメリカの介入。
北爆という第二次世界大戦で使用された爆弾の総量を上回る大爆撃の中で、アメリカの指揮官は「ベトナムを石器時代に戻してやる」との傲慢な言葉を言い放ち、
アメリカ兵士は自由を脅かす共産主義者との闘いだと教えられ、東洋人は黄色いケダモノだと洗脳される。
戦場では、たとえ女性であれ、子供であっても、数多く殺すものこそが英雄視された。
しかし、黄色いケダモノと標的にされたベトナム人は、ふるさとである美しい大地と愛し、愛する家族を守り、細やかな幸せを望んでいる父であり母であり未来ある子供たちであったのです。
殺さなけば、自分が殺されるかもしれないという恐怖心が、無抵抗な人でさえ敵に見させてしまうという極限状態、ある村では、女性、老人、子供までもが数百人が虐殺される。
麗しき金色の山々には猛毒のダイオキシンを含んだ枯葉剤がまかれ、緑の大地はこげ茶色の枯れ木の山となった。
そして、のちに生まれながらにして障害のある多くの子供が生まれ、さらなる悲劇を生みだしました。
8歳の娘と3歳の息子を殺された父は嗚咽し「何が憎くて人の国へ勝手に入り子供まで殺すのか?」かけがいのない家族を失った憤りと悲しさで涙は枯れることがなく、憎悪は消えることはない。
あるアメリカ兵士は自分が殺したベトナム兵士の胸のポケットを弄り、彼と彼の娘がほほ笑んで並んでいる記念写真を見つけた。
優しいベトナムの父は将来があるだろう若いアメリカ兵士と対峙し、殺すことを躊躇し、殺されることを選択したに過ぎなかった。
それを直観したアメリカ兵は生涯罪悪感に苦しみ続ける。
黄色いケダモノと信じていたベトナム兵士は娘の幸せを願い、ふるさとを守ろうとしていた心優しい父だったのだ。
本来人々の自由と平等を追求し平和のためのイデオロギーが罪のない人々を殺すことになる本末転倒、罪のない人々を殺しても守らなければならない主義や主張とは一体いかなるものなのか…
戦場を離れ自分自身の内なる声に耳を傾け、いくら悔やんでも、犯してしまった罪と心の中の闇は消えることがない。
人間は善にもなりうるし悪にもなりうる。
本当の敵は自分と異なるイデオロギーを持つ人でもなく、自分と異なる宗教を持つ人でもなく、自分と異なる民族でもなく、自分と異なる国家に住む人でもない。
本当に対峙しなければならない敵は、人間の心の奥底に宿る、人を思い通りの動かそうとする支配の心、差異を憎む心であって、自分と異なる他者ではなく、自分自身の内なる悪ではないだろうか…
この戦争で、米軍6万人、北ベトナム解放軍100万人、南ベトナム政府軍24万人、民間の犠牲者50万人の上ったといわれています。
数が多いから悲惨なのではない。
亡くなった一人一人が大切な父であり、心優しい母であり、未来ある子供たちで、ひとりひとり紡いできた人生の物語と大切な夢と、無限の可能性を瞬時に奪うことが戦争の残酷さであり悲惨さなのです。いかに大義名分で取り繕っても愚行以外の何物でもなかったことを厳しく受け止めなければなりません。
さて、戦後40年、現在、当時サイゴンと呼ばれたここホーチミンの中心の道路は舗装され、海外のブランド店が立ち並び、高級車なども通り経済成長を果たし、一見すると幸せをつかんだかのように見えます。
しかしながら一歩町を離れると、未だ9割以上は貧困層、病気になってもお金がかかり、病院には行かせることができないという家庭がほとんどです。
過去の爪痕はほんの一部分を表面的には隠せてもたった数十年で消し去ることはできないのです。
戦後40年の節目、過去の歴史と現状のベトナムに思い馳せ、一人の日本人医師と心優しき看護師が立ち上がる、その医師とはかつては人間の尊厳のため公正な立場で紛争地や自然災害地に従事する「国境なき医師団」に所属し、東日本大震災の発災の2日後には国連からの指令でニュージーランドの災害現場から台湾医療チームと一緒に福島に入って被災者の治療にあたった世界を駆け巡る名医、
一方、看護師は東京の大学病院の勤務を経て、若くして婦長となり日本で優秀な看護師の輩出に尽力された優秀で心美しき看護師です。
自分のことだけを、自分の家族のことだけを、自分と親しい友人のことだけを考えるなら日本はもちろんのこと、先進国で従事することで生涯豊かな生活は約束されています。
しかし、世界を知り、貧しい子供たちの存在を知り、その子たちの未来に思いを馳せるとき、自分だけの幸せだけを追い求める人生では「魂」を納得させることができなかったのでした。
国籍は日本、しかしながら心の中は国境など存在せず、世界市民としての自覚が安きに甘んじることを許さないのであります
「自分だけの幸福や安全もなければ、他人だけの不幸もないこと」を観念ではなく魂で知っている名医と看護師の物語がここベトナムで始まろうとしていました。
曰く、「貧しい子供から医療費をもらうつもりは微塵もない」「私はお金では動かされない、魂で動くのです」「数年後ここベトナムから優秀な医療者が陸続と排出されることになるのです、きっとその子たちが貧しい子供たちを助けてくれるに違いありません」
ただ一つの憂いは、いくら医療技術があっても医療を施す空間が不衛生であるならば、感染症で亡くなるケースも少なくない。現に、衛生的とは言い難い空間で、できる限りの医療を施した患者が感染症で命を落とす悲しい出来事も経験した。
銭勘定抜きにして、平和な未来を育む戦いに心から賛同し、急きょ塗魂ペインターズの海外ボランティア第2弾、ベトナムボランティアが決定したのでした。
わずかな滞在期間とわずかな人数で、診療室1室と医務室1室を断熱ガイナで塗装させて頂くことになったのです。
ある人は言う、もっともっと貧しい国や地域はある、ここだけをボランティアしたところで焼け石に水ではないだろか?
親愛なる塗魂家族の皆様、ちっぽけな波騒など気にせず、悠々と見下しながら大胆に生きましょう!
私たちは限りある人生の途上にあって、出会うことができる人はほんの一握りであり、その出会いは偶然ではなく必然であることを知っている。
一人の人間の可能性は無限大ゆえ、目の前の一人に真剣に向き合うことが世界に向き合うことに通じるということを知っている。
たった1つの診療室と1つの医務室が、ここベトナムの子供たちの命を救うことで、その命が、人間の尊厳を輝かせ、戦争のない世界へと変革し行く無限の可能性を秘めていることを知っている。
なぜなら、私たち塗魂ペインターズは不幸で泣いた人こそが、誰よりも幸せになる権利があり、誰よりも幸せにする力を秘めていることを知っているからです。
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