201601/31
[ガイナでボランティア]
常総ボランティア
2015年9月、鬼怒川の堤防決壊によ大きな被害がもたらされてしまった茨城県常総市
川が氾濫し建物は大人の腰以上に水につかってしまい、避難指示が出たてしてもどこに何も持って避難していいのかわからない。
「まさか自分こんな目に合うとは…」
災害に会ったまさかの出来事に一様に「まさか自分か…」との言葉が頭をよぎる。
一方、同じ茨城県でも鬼怒川を少し離れると全く被害はなし、ほんの少しの違いが天地雲泥の差になること目の当たりにしながら、「いったい自分に何ができるのか…」と考え続けていた塗魂ペインターズのメンバーがおりました。
茨城県守谷市に在住のプラティナコーティング 大野社長です。
「自分や家族が被害に会わずほっとした」もちろんある一面これも素直な気持ち、
しかし、同時に被害にあった方を目の当たりにする中で心を痛め
「社会貢献を経営理念にうたいいながら同じ県内で起こった災害に対し、自分はいったい何ができるのか…」と苦しむ、これもうそ偽らざる素直な気持ちです。
あれこれ考えることより、とにかく動こうと、やむにやまれない思いで現地に駆けつけるも、あまりの被害の甚大さに呆然とするばかり、只々自己の無力さを痛感する中で自分が最も力を発揮できる状態となるまで、機が熟すのを待まっていました。
鬼怒川の堤防が強化された。
道路上の土砂が片付けられ車や人が通れるようになった。
幼稚園や学校の床と壁の補修も完了した。
しかし、行政の予算はこれが限界、壁や遊具をきれいにするまでの予算はない。
迷うことなく2月下旬に再開するためにどうにかできないかとの声に呼応し、今回の常総ボランティアとなったのであります。
幼稚園の先生やご両親はとても喜んで頂き、ペインターズだけに任せるのは申し訳ないということで、私たちと一緒になっての親子塗装教室がこの常総ボランティアとなった経緯です。
偉大なる人間教育の先哲は、人間の生き方には大別して3段階あるといいました。
自分の持つ可能性を実感できず、ただただ周囲に合わせ、人や環境に依存する生き方、
自分自身の人生の舵取りをしようとする意思はあるものの他人に対する眼差しは冷ややかで、他人が困難に直面しても本人が何とかすべきであると自己責任論を展開する生き方
自分と他人との間に線を引くことなく、自分だけの幸福もなければ、他人だけに不幸もないことを気づいており、積極的に人に貢献しようとする生き方
そして、先の2つの生き方のような悪いことをしなくても、良いことをしないのは結果として悪と何ら変わりがないと喝破したのでした。
一見すると厳しい意見にも聞こえますが、例えば、川で溺れている子供がいた場合、なぜ足を踏み外してしまったのか、誰かに押されたのかなどを問うのではなく、まず何とか助けようと努力することが人間として、人間らしいの振る舞いであるといえましょう。どんな理由であれ、「私が溺れさせたのではない」などといって傍観するのはあまりにも理不尽であり、悪に通じるということは誰にも容易に理解できることと思います。
自分が原因でないにしても困った人を目の当たりにし何ら手を差し伸べることができない人は悪や不幸を増長することがあっても、微塵の幸せをもたらすことができません。
「自分は人に迷惑をかけない生き方をする」などどいった消極的小善的な生き方は、結局は「人の不幸の上に自分の幸せを築く」といった悪に生き方に飲み込まれていってしまうのです。
どうせ生きるなら、小善的な自己満足や自己責任論を展開させ利口ぶった生き方などには興味がない。
どうせ生きるなら、自分た他人に小さな垣根など悠々と乗り越え、自分の努力によって人々に笑顔の明かりと灯し、自己の存在意義を実感しながら生きていきたい。
どうせ生きるなら、自己の無限の可能性を信じ、より良き社会を変革する主体者としての生き方を全うしたい。
なぜなら、私たち塗り魂ペインターズは「真の幸福は、社会の一員として人々と苦楽を共にしなかれば得ることはできない」との先の先哲の言葉の意味を少なからず実感としてつかみ取っているからなのです。